カルメン・マキ(朗読)
寺山修司の劇団「天井桟敷」から17歳で歌手デビュー。デビュー曲「時には母のない子のように」で紅白出場。その後ロックに転じ、その力強い日本人離れした歌唱で日本ロック界の草分け的存在に。
水城ゆう(ピアノ)
小説家、音楽家、朗読演出家。ジャズピアニストを経て、現在は現代音楽的な即興演奏家、作曲家としてさまざまなジャンルのアーティストと共演。
1969年、「時には母のない子のように」で17歳の鮮烈なデビューを飾ったカルメン・マキ。その後、カルメン・マキ&OZなどの活動を通じて日本のロックシーンを切り拓き、後の世代のミュージシャンたちに多大な影響を及ぼしてきたことを知る人も多いことでしょう。 歌は詩から生まれ、また詩からは物語も生まれた。
詩と歌と物語がたがいに分かたれることなく、ともにまじりあって存在していた時代がかつてあった。はるか時を経て、私たちはまるで昆虫学者のように、ものごとをさまざまに細かく分類し、ラベルを貼る作業に熱中している。詩と音楽はまるで別物のように扱われ、音楽もまた数えきれないほどジャンル分けされ、細分化している。世界の国々が何百と国境を設定し、たがいの民族名と宗派を主張し合っているみたいに。
でも、私たちは標本箱の仕切りに――国境線のなかに――押しこめられたくはない。
最近のマキさんは、固定メンバーを持つことなく、さまざまな人とライブをおこなっている。歌われる曲もいろいろなジャンルだし、アレンジだってそのつど変わっていく。もはやジャンルを特定することはできない。共演メンバーもノンジャンルとしかいいようのない柔軟な音楽性を持つ人ばかりだ。
マキさんは歌のあいだに、ときおり短いトーク(いわゆるMCというやつだ)をはさむ。それはまるで詩のようであり、曲と曲をつなぐ織糸のような役目をはたしている。また、はっきりと詩を読むこともある。詩は音楽と違和感なくまじりあい(あるいはときに違和感を狙って繰りだされ)、また音楽そのものであるようにも聞こえる。
それを聞いたとき、私はマキさんに「詩だけのアルバム」を作ってみては、と提案したのだ。それも音楽アルバムとして。
音楽としてのカルメンマキのポエトリー・リーディング。ありうると思う。実際、このアルバムにおさめられている「曲」を聞いて、これを詩だと感じるだろうか。それとも音楽だと感じるだろうか。
それだって、どちらでもいいことではある。あなたのなかのどこかにカルメンマキの響きがとどけばいいのだ。